アムステルダム滞在記
2003年4月13日から5月12日まで、オランダはアムステルダムに滞在しました。
世の中では大したことでも何でもないでしょうが、ずっとサラリーマンの身で海外に行くこと自体ほとんど経験のなかった私が、脱サラし、言葉もろくにわからない地でひと月過ごすのは、ワクワクを通りすぎて、ドキドキでした。
かの地のKさん他の助けがなければ悲惨なことになっていたかもしれません。
自分の人生を組み立てなおすため、1ヶ月間の西野塾集中稽古を2回、平行してサックス演奏の東京デビュー等、音楽活動開始に続いての青写真のないアムステルダム滞在でした。
私の音楽はヨーロッパにあり、という思いはずっとあり、中でも共演経験のある三人のミュージシャンはオランダ人でアムステルダム在住、ということがアムスを選んだ理由です。
そこの空気を吸うのがいちばんの目的で、それにより自分自身を大きくしたかったのです。
もちろん、それは最終目的ではなく、更に次へとつなげるためのワンステップということですが。
B&Bという朝食付きの下宿みたいなところに泊まり、朝食は毎朝9時に予約しました。
基本的な行動は、8:30〜9:00 華輪、9:00〜9:30 朝食、そのあと午前中は、再び30分以上の華輪と、読書、整理、二度寝などで、午後外出というものでした。
呼吸法は長い日で3時間、平均1〜2時間続けました。
今回の経験の中に実は大きなことがありました。それは8年間の呼吸法において、1週間以上の間を空けることなく続けてきた稽古を1ヶ月間もしないということです。
幸い大分では稽古をする場所と仲間に恵まれていますが、地方会員の宿命、でもあるのですが、本来呼吸法の半面として、自力でそのパワーを身につけるということがあると思います。
でなければ、塾生は東京大阪を離れずに、西野先生や指導員の力を頼りに生きてゆかねばなりません。
今回、あらためて西野先生の本を読み返し、感動し、原点に戻ろうと思いました。
惰性で呼吸法をしてきた部分があったと思います。どうしてもある一線を越えられない自分を感じて、自分の身体を他人事として見ている自分がありました。
アムス滞在中にも時として感じる孤独感。しかし頼るのは自分しかいない。だけど、その自分は60兆の生きた細胞の集合体であることを思うと、勇気が出てきて、孤独感を感じる頭脳の独りよがりに思い至りました。
些細な動作一つも60兆の細胞全てが関与しているのです。“一が全てで全てが一” 今まで何かにぶつかる毎に、ただ真直ぐに前に進むことを怠り、半身になって逃げていたように思います。
ある夜、そうして頭と身体の和解を試みました。
ベッドに仰向けに寝て全身を緩め、両手を丹田に置き、今までを詫び、これからは一緒にやっていこうと自分に呼びかけました。するとやがて足のつま先から手の指先まで、更には顔面まで全身にピリッピリッと電気的な痛いような刺激が走り、身体が熱くなり眠れなくなりました。
今まで身体に申し訳ないことをしてきたことを思い、感動が朝まで続きました。
そんな、呼吸法から開放された1ヶ月だったというパラドックスを経験しました。
音楽面では、事前の準備を全くしなかったのですが、アムスに来演した大友さんとマルタンをベルギーのブリュッセルに追いかけて、そのアンコールに参加させてもらい、アムスで知り合ったミュージシャンに招かれて二度演奏、ジャズクラブ「ビムハウス」のワークショップ参加、3人のミュージシャンとのスタジオセッションと、5回の演奏ができました。
その他、コンセルトヘボウでのブリュヘン指揮のベートーベン、チェリスト・エルンストとの再会(彼のトリオの演奏も感動しました)、ゴッホの油絵、TEXEL島の夕日等、ここに書いてないことや無自覚なことも含め、貴重なアムステルダムの1ヶ月間だったと思います。
今まだ答えというものはありませんが、さまざまな課題が生まれ、それに向かおうとしています。
2003/05/22 山内 桂 記す